貝貨でお菓子が買えます
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[エッセイ02:ここだけの話 No.2]お金に形は必要?貝貨銀行の問い(小坂 恵敬)
2018年04月02日
[ここだけの話02]
お金に形は必要?貝貨銀行の問い
小坂 恵敬
人類学研究所・非常勤研究員
近頃はビットコインやNEMなど、仮想通貨が注目を集めています。これは裏を返せば、人々が「お金」について、形と重さを持ったモノである必要性をそれほど重視しなくなっていることの表れなのかもしれません。しかし、私達は、価値を持つと考えるモノから、本当に物質性を排除することができるのでしょうか。それを考えさせてくれるのが、あまりその存在が知られることなく閉じた、パプアニューギニア・東ニューブリテン州にあった貝貨銀行です。
トーライの貝貨「タブ」
同州のゲゼル半島にはトーライと呼ばれる民族集団が15万人ほど住んでおり、ムシロ貝と呼ばれる小ぶりの貝を加工し、約400個を数珠つなぎにした貝貨タブ(tabu)を使用しています。貝貨について、中央銀行に当たるものはなく、基本的にトーライの人々は材料を手にすれば、好きなだけ貝貨を作ることができます。もっとも、近くの海で材料の貝を手に入れることが難しいからこそ、ムシロ貝が利用されている訳です。
トーライの人々は、伝統として結婚式や死者を弔う儀式で、親戚や参列者に貝貨を配り、貰うことを続けています。逆に言えば、貝貨をやり取りすることがトーライとして当たり前だと思われており、人々はいざという時に備えて、できるだけ多くの貝貨を手元に貯めようと努めています。
それだけに、貝貨で日常の品々を売り買いできるのも当然の話でしょう。1975年の独立以来、国民通貨であるキナ・トヤが流通してからは、以前ほどの購買力はありませんが、村で生活していると、米や豚肉、ピーナツ、揚げ菓子、タバコなどを貝貨で買うことができます。また、東ニューブリテン州の住民の大多数がトーライの人々であることもあり、小中学校の学費も支払うことができるほか、税金の支払いとして認められる場合もあります。
ただ、役所はキナ・トヤがなければ機能しません。役所が学費や税金として貝貨を受け入れる背景には、貝貨と国民通貨との「為替レート」が設定され、貝貨をキナと交換することが可能だからです。為替レートの計算は、難しいものではなく、材料となるムシロ貝の平均的な仕入れ値を、できた貝貨の数で割っただけのものです。ただ、最近は加工料も加えたレートが普及してきており、少々割高感が出てきました。
貝貨銀行の設立
このように、貝貨と国民通貨が交換できるなら、それを利用して「銀行」を作ろうという人が出て来るのも自然な話です。トーライの人、ヘンリー・トクバックさんは、まさにそのように考えた先駆けでした。トクバックさんが1990年代に貝貨銀行を始めた当時、トーライの人々の間には、まだ貝貨を国民通貨と交換することにためらいがありましたが、彼は貝貨と国民通貨を、国民通貨と貝貨を積極的に交換しました。お金との交換は表立って躊躇われるものの、実のところ手軽に交換できればどれだけ有り難いかと考えられていただけに、人々の利用が増えたといいます。
これだけなら、交換所ですが、トクバックさんは、顧客にタブの口座を作らせようとしました。もちろん、預けられた貝貨には一定の利子を付けました。さらに、タブの貸し付けにも手を伸ばそうとしていました。そして、ゆくゆくは貝貨口座を基にして商店で利用可能なデビッドカードなども作ろうと考えていたのです。ここまで来ると、タブはもはや実態を失って、仮想通貨の先駆けとして考えられています。
ところが、トーライの人々にとって貝貨は、儀礼の場で実際に皆が見る中で、与え・与えられることがそもそもの価値の基でした。人々は、口座を作って貝貨を預けて運用するよりは、トクバックさんの貝貨銀行から貝貨を手に入れることに集中しました。結果としてトクバックさんは、顧客の要求に応えるために、預金で集めた数よりもたくさんの貝貨を他の手段で調達する必要に迫られました。その方策を考えていた1994年に、トクバックさんの貝貨銀行があった東ニューブリテン州の州都ラバウルで火山が噴火しました。すべてが灰の下になった訳ではありませんが、災害後の略奪などで貝貨銀行の資産が失われてしまいました。
貝貨銀行を創設したヘンリー・トクバックさん
貝貨への意識の変化
トクバックさんは、貝貨を電子化も可能な仮想通貨を目指したようでした。しかし、トーライの人々は貝貨を単なる交換手段としてではなく、儀礼の際に贈与することで意義を持つ交換財であることを望んだのです。そのため、トクバックさんの試みをもっても、人々の貝貨への思いが揺らぐことはありませんでした。
ただ、時代は変わりつつあるようです。私が2005年頃に見たある儀礼では、人々の貝貨に対する認識の変化が現われ始めていました。その儀礼は、男の子が一定期間村から離れて暮らした後に、「男」となって親族の出迎える村に戻る成人儀礼でした。男の親族が、彼にお祝いとして貝貨の贈与を行ったのですが、その中に貝貨の材料となるムシロ貝の入った小瓶が数本並べられていました。その貝を使えば、親戚が差し出す貝貨としては十分な貝が瓶に入っていたのです。
しかし、儀礼を主催者した男の叔父はその瓶を掲げ「これは貝貨ではない。こんなものは伝統ではない」と激しく批判したのです。叔父にとって、儀礼で贈与されるものは貝貨でなければならず、貨幣換算で同じ価値に相当する加工前の貝殻は、材料でしかないからです。一方、貝殻の瓶を贈ろうとした親族は、為替レートで同価値なら貝殻も「貝貨」と同じだと考えたのです。私が目撃した儀礼は、貝貨の形態を重視する人々に対し、形に拘らない人々が現れたことを示していました。
ムシロ貝の入った瓶は、トクバックさんが目指したであろう、貝貨の仮想通貨化に至る村人たちの意識の変化の表われだったのかもしれません。それから13年が過ぎました。今ならトクバックさんの貝貨銀行が名実ともに受け入れられるのかもしれません。
花婿側から花嫁側に贈られる貝貨の束 |
儀礼ではタイヤ状にまとめた貝貨を切り分けて 人々に配ることも
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