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[エッセイ03:ここだけの話 No.3]頭がなくなった!(渡部 森哉)
2018年06月05日
[ここだけの話03]
頭がなくなった!
人類学研究所・所長
私は1999年からペルー北部高地のタンタリカ遺跡で発掘調査を始めた。博士論文執筆のための調査であった。頂上部の標高3289メートルの山の頂上部から3000メートルほどの麓まで建築が連なっており、後14世紀から16世紀の時代の遺跡である。最寄りの村まで歩いて1時間であったため、遺跡でテント生活をして調査をした。2000年と2004年に追加の調査を行った。
タンタリカ遺跡遠景 |
今回紹介する事件は2年目の2000年に起きた。山の麓のB区と名付けた発掘区で、植民地時代の墓が多く検出されていた。発掘を担当していたエルメルが、丁寧に清掃し、図面をとった後、墓の遺体の1つから頭骨がなくなったのである。最初はイヌが持って行ったのだと思った。それまでテント生活をして色々な物が盗まれ、その犯人が動物だったことが多くあったからである。
例えば、ゴザが盗まれたことがある。現地でトトーラ(totora)と呼ばれるカヤツリグサ科の草を編んで作ったゴザがペルー北部ではよく使用される。それを荷物置きなどのため使用していたのだが、ある時盗まれてしまった。我々は人間を疑った。しかしその後も新たにゴザを入手し使用していたら、発掘の最中、ウシがテントのそばにやってきて、ゴザを咥えたかと思ったらそのまま食べ始めたのである。犯人はウシであった。ああなるほどと思った。ゴザは盗まれたのだが、なぜがゴザの断片が残っていたからである。ウシはカラカシュアと呼ばれるトゲのたくさんある木も食べる。よっぽど食べるものがないのであろうか。
それから石けんも盗まれた。手や顔を洗うため、1人1つずつ石けんを持ち、使用後はテントの外に置いて乾かしていた。そうしたら盗まれた。村人もひどいことをするなと思った。数日後、発掘後に夕方に日誌を書いていたら、ヤギが近づいてきて、石けんを食べ始めた。ヤギが紙を食べることは知っていたが、石けんを食べることは全く知らなかった。自分の無知を恥じると共に、村人を疑ったことを申し訳なく思った。
しょっちゅう動物にとられたので、人間の頭骨がなくなったのはまた動物のせいだと思った。しかし墓をよく観察してもイヌの足跡はない。動物はものを食べることをするが、食べられるものでなければ興味を示さないだろう。作業員と話をしてみると、どうやら人間が盗んだのだろうということが分かった。しかしなぜ?
タンタリカ遺跡の建築 |
ペルーでは盗掘が盛んである。それは特に海岸地帯で多いのであるが、精巧な土器や黄金製品などを副葬品として伴う墓が狙われる。掘り当てられた墓の副葬品は闇のルートを通って世界各地の博物館が流れていく。無数の穴の空いた遺跡はペルー北部にはたくさんあり、私もこれまで多く見てきた。貧困のため、やむを得ず盗掘に手を染めてしまうのであろう。そう考えていた。しかし、頭骨は売れない。盗んでどうする? 話を聞くと、どうやら家に置くようなのである。
古代アンデスでは多くの黄金製品が作られた。最も古い物で形成期中期(前1200-800年)に遡る。そして後期になると墓の遺体が身につける物として見つかる。紀元前800年頃の形成期の神殿のクントゥル・ワシ遺跡の墓では、冠、耳飾り、首飾り、鼻からぶら下げるマスク、などが見つかった。黄金製品は頭を強調するものであり、手足を飾る物はない。頭に特別な意味を付与していたようなのである。後の時代にも黄金製品の製作は続くが、やはり中心は頭を飾るものである。また実際発掘した遺跡で、頭骨だけが出土することもある。戦争首級ではなく、どうやら儀礼の一部のようだ。生きたまま切り離したのか、あるいはアンデスではミイラ製作が古くから盛んだから、ミイラから頭だけを切り離したのだろうか。
タンタリカ遺跡の植民地時代の墓 |
インカ帝国の最後の王アタワルパは、最終的にキリスト教に改宗することを受け入れ、火焙りの刑を免れ、絞首刑となった。しかし、17世紀の初めにはアタワルパは斬首刑となったと表象される。それは史実ではない。そして17世紀から連続して語られてきたのか、あるいは20世紀に作られた話なのかは分からないが、アタワルパの首という伝説が今日のペルーでは語られる。なんでもアタワルパの首が大量の黄金製品と埋められたとか。語られるのはやはり首だけなのだ。
古代アンデスの図像表現にも首だけがよく描かれる。アマゾンのヒバロ族は干し首作りで有名であるが、それは戦争で捕らえた人々の首である。首を重要視する習慣はアンデスと共通するかもしれないが、ヒバロ族とは違ってアンデスでは骨を抜くことはしない。そして、人間ではなくリャマなどの動物の首を切ることもある。
アンデスの人々は、首に豊穣、再生という意味を託しており、その信仰は現在でも一部で続いているようだ。だからわざわざ頭骨を盗んで家に置こうとしたのであろう。スペイン人による布教活動の結果、先住民は植民地時代にキリスト教に改宗した。植民地時代の途中からは、先住民自らが正当なカトリックであると語る内容が記された史料が多く見られる。よくある土着宗教とキリスト教の対立は認められず、アンデスの人々は完全にカトリックを内面化している。しかしながら、現代まで繋がる習慣の中には意識せず先スペイン期から引きついできた要素があるようである。
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