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[エッセイ04:ここだけの話 No.4]「高齢者」を「高齢者」が支援する?高齢者福祉の現場にて(菅沼 文乃)
2018年06月05日
[ここだけの話04]
「高齢者」を「高齢者」が支援する?
高齢者福祉の現場にて
菅沼 文乃
人類学研究所・非常勤研究員
現在、人口高齢化が世界的に問題となっています。日本の高齢化は世界的に見てもスピードが早いため、迅速な社会的対応が迫られています。そのひとつである福祉制度は、一般的に65歳以上を「高齢者」とし、年金や医療などの対象と設定しています。そのため、高齢者という語はしばしば「社会や若者に支援される存在」というイメージをはらみます。
一方で近年、高齢者の生産性にスポットを当てるプロダクティブ・エイジングという考え方が注目されており、実際に高齢者による社会貢献活動も数多くみられます。今回は、現代日本社会における高齢者の活動について、私がフィールドワークを行っている沖縄都市部の高齢者福祉サービスの様子を紹介します。
「高齢者」を支援する「高齢者」
沖縄県那覇市の地域ふれあいデイサービスは、周辺地域の65歳以上住民の健康増進と生きがい獲得を目的として実施されているサービスです。デイサービスと名がついていますが、介護サービスではなく介護予防を目的としたメニューが実施されています。
地域ふれあいデイサービス(以下、デイサービス)の特徴は、地域住民の協力に頼る部分が大きいことです。私が調査でお世話になっているデイサービスでは、民生委員を中心としたボランティアが活動を支援しています。民生委員はそれぞれの地域で住民の立場から住民の生活状態を把握し、生活に関する相談を受け援助を行うボランティアです。この地域は、若い世代はよりよい就労先を求め県内へ、また県外へと出ていく人が多いため、地域の高齢化が進み、必然的に民生委員も65歳以上ばかりです。そのため、「地域の高齢者が地域の高齢者を支援する」という、一見不思議な構図になっています。
デイサービスでのレクリエーション指導員や看護師は市やデイサービスの管理運営団体から派遣されてくるのですが、いすを並べ、レクリエーションに使う道具をそろえるなどの事前準備や、参加者名簿のチェック、市への活動報告はボランティアの仕事です。デイサービスの最中にはレク指導員や看護師の手伝いをし、やる気のなさそうな参加者に積極的に声をかけ、場を盛り上げます。休憩時間に配るおやつやお茶の準備もしなければなりません。このおやつの手配がまた曲者で、参加人数に対して市から下りる予算内でのやりくりが難しいため、お菓子や果物が安い店を捜し歩いたり、それぞれおにぎりやてんぷらを自作し持ち寄るなどの工夫がされています。あるボランティアは言います。「もう(参加者は十分)多いんだけど、友達づてで来るので嫌とはいえない。(管理運営団体も)断るなというし」。ボランティアの活動はかなりの負担であるようです。
先に触れた通り、ボランティア自身もサービスの対象である65歳以上の地域住民です。なぜ彼らは、こんな負担を負ってまでサービスを支援し続けるのでしょうか。
デイサービスを盛り上げる |
理由のひとつは、老後にもやりがいのある仕事にかかわりたいという気持ちがあることです。平均寿命が伸長した近年では、65歳以上といえども十分に元気な人たちが増加しています。彼らの中には、たとえ仕事を定年で退職してもまだまだ社会で活躍したいと考えている人もおり、そうした人たちが地域活動やNPO、ボランティアに携わるケースが増えています。
また、地域で長く暮らしてきた経験から生じる感情もボランティアの活動を支えています。特に私がフィールドワークを行っている地域は、甚大な被害を出した沖縄戦の後、米軍により土地が接収され、土地解放後もなお近隣に米軍関係者が駐留していました。そのためこの地域は米軍関係者を主要客層とする繁華街として復興しはじめ、そこに沖縄各地から多くの人が労働力として移住し、経済発展を支えたという経緯を持っています。現在ここに住む65歳以上の住民の多くは、そうして地域の復興を担った人たちなのです。
こうした経験と苦労は、老いてなお「地域への責任感」「長く住んでいるここを見ていきたい」「地域への恩返し」という感情を生み出しているようです。ボランティアの中には、「今はほかのところに住んでいるけれど、(活動を)見に来ている」という人もいるほどです。
参加者にお茶を配るボランティア |
「65歳以上は高齢者」から「個人性を内包する高齢者」へ
今回紹介したデイサービスは高齢者福祉の一環ですが、現場には高齢者が高齢者の活動を支えるという構図が潜んでいます。このこと自体は、冒頭で触れた通り、目新しいものではありません。しかし、この事例で重要なのは、デイサービスという「高齢者を支援の対象とする場」への多様なかかわり方を高齢者自身が発見していること、そのかかわり方は個人的な経験に裏付けられているのであり、「高齢者」という設定にとらわれたものではないことです。彼らの活動を現場で眺めていると、現在の日本の「高齢者」が個人の多様性を覆い隠してしまいがちなことに、改めて気づかされます。
(写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします)