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[エッセイ07:ひょんなことからNo.1]手紙よ、届け:エチオピア農村部の郵便事情(吉田 早悠里)
2018年10月01日
[ひょんなことから01]
手紙よ、届け
エチオピア農村部の郵便事情
吉田 早悠里
人類学研究所・第二種研究所員
住所なき場所への郵便物
「サユリ、君に手紙が来ているよ。」
2005年3月、私がエチオピア南西部に位置するカファ地方ビタ郡ウォシェロ村で文化人類学の本格的な調査に初めて取り組んでいたときのことです。ビタ郡の役場から村に帰ってきた小学校の教員アブドゥが、私に2通の封筒を手渡してくれました。
ウォシェロ村は、エチオピアの首都アディスアベバから南西約550kmの距離に位置する農村です。自動車が通る幹線道路からは徒歩で少なくとも1時間半はかかる場所で、電気、水道、ガスはありません。村には、郵便局はおろか、電話をかける手段もありません。当時、携帯電話は普及しておらず、電話をかけるためには半日かけて郡の中心にある電話局へ行き、電話交換手を通じて電話をかけなければなりませんでした。私のもとにどうして手紙が届くのでしょうか。アブドゥが私をからかっているのだと思いました。
アブドゥが渡してくれた2通の手紙のうち、1通はアブドゥと友人が私の誕生日を祝ってしたためてくれた手紙でした。もう一通は、2005年2月18日付けの日本の切手が貼られていました。驚いて封を開けてみると、大学院の友人2人が、私がエチオピアから送った手紙に対して返信してくれたものでした。封筒に書かれた宛先の住所は「エチオピア・カファ地方ビタ郡」で、村の名前は記されていません。これは、たとえば「愛知県名古屋市」のようなものです。こんな不確かな宛先で、この手紙がよくも私のもとに届いたものだと不思議に思っていると、アブドゥが教えてくれました。
「この手紙は郡に届いていて、おそらくウォシェロ村にいる外国人(筆者)宛ての手紙だろうといって郡の役人が手渡してくれたんだ。」
アディスアベバの空港内に設置されたポスト(2017年3月16日撮影) |
手紙を運ぶ
エチオピアでは、基本的に郵便物は郵便局の私書箱に届けられます。ただし、私書箱が設置されている郵便局は、都市や町に限られています。多くの村には郵便局も郵便ポストもありません。農村部に暮らす大半の人々にとって、郵便物を送ったり受け取ったりすることは馴染みのないことです。
たとえ私書箱を借りたとしても、手紙が届くかどうかは(首都を除いて)別の問題です。私は日本からエチオピアの友人に宛てて何度も手紙を送ったことがありますが、手紙が届いたという話は残念ながら一度も聞いたことがありません。同様に、私自身、エチオピアの地方都市で私書箱を借りて日本からの手紙が届くのを心待ちにしましたが、手紙が届いたことは一度もありませんでした。
冒頭のエピソードは、私が10年以上にわたってエチオピアに通うなかで、唯一、郵便制度を介して受け取った手紙です。日本からの手紙が私書箱に届くことがなかったにもかかわらず、不確かな住所が書かれた手紙が私のもとに届いた理由は、エチオピア固有の事情があるようです。
あるとき、私がバスに乗っていると、1人の男性が運転手のところにやってきて、「A村のスーク(商店)で、フセンさんにこの封筒を渡して!」といって封筒を運転手に託しました。封筒には、村の名前と受取人の名前しか書かれていません。運転手は、「スークのフセンか。わかった」といって封筒を受け取りました。そして、A村に到着すると、運転手はスークの前で窓を開け、「フセン宛てだ」といって封筒を差し出しました。すぐさまフセンを知る人が登場して、封筒を受け取っていきました。
エチオピアの農村部では、バスやトラックの運転手、道行く人などに手紙やモノを託して、それらを運んでもらうことが一般的に行われています。私自身が手紙の運び手となることもありました。顔の見える人々の関係性が、手紙をつないでいく。不確かな住所が書かれた日本からの手紙が私の手元に届いたのは、郡の役場に勤める人々が私個人と私の居場所、そして私が誰といるかを知っていたからでしょう。誰に渡すと確かに受取人に届くのか、人々はちゃんと知っているようです。
ビタ郡の幹線道路を走るトラックとバス(2016年1月24日撮影) |
体温を纏った手紙
村のなかでは、日常的に主に10代の学生たちが手紙をやりとりしています。私は、調査の際に親しくなった若者たちが好意を寄せる異性に宛てて書いた手紙を何度も目にしました。手紙の文章は詩的で、甘い言葉が並んだりしています。余白には、青や赤のボールペンで花の挿絵やデコレーションが描かれています。封筒に入れるのではなく、手紙を工夫して折ることも。手紙を直接相手に手渡すこともあれば、友人が手紙の配達を担ったり、スークが手紙を預かって相手に渡したりすることもあります。
今日ではエチオピアの都市部・農村部を問わず携帯電話が普及し、若者たちは携帯電話のショートメッセージやFacebookを活用するようになりました。けれども、そこでやりとりされるメッセージは、手紙に比べるとなんだか味気ないように感じます。あるとき、私の携帯電話に英語の韻を踏んだ素敵なメッセージが送られてきました。数日経つと、別の人物からも全く同じ文章が送られてきました。どこかの誰かが作った文章がさまざまな人に使い回されているようです。
エチオピアで受け取る手紙は、文字や行間、紙の折り目が、差出人の人柄や息づかいを、手紙の破れやシミ、汚れが、手紙が受取人に届くまでの過程を伝えてくれます。こうした手紙は、人間の体温やつながりを纏っています。他方で、携帯電話のショートメッセージやFacebookは文字を送ることしかできません。
ところで、帰国後にエチオピアへ手紙を送ってくれた大学院の友人2人に手紙を受け取ったことを話すと、2人は驚くと同時に笑いました。というのも、2人は夜、お酒に酔った勢いで手紙を書き、「こんな不確かな住所では、どうせ届かないよね」と話しながら、翌日、郵便局から送ったのだといいます。確かに、手紙の内容はとりとめがなく、文字も歪んでいました。それでも、お酒に酔った私の友人が日本から送ってくれた手紙が、私をエチオピアでの調査の緊張からほっと一息つかせ、和ませてくれたことは言うまでもありません。
(写真は、すべて著者撮影のものです。無断転載を禁止いたします)