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公開シンポジウム「不確実な世界に住まう:遊動/定住の狭間に生きる身体」(2017年度公募シンポジウム)実施
2018年03月03日
2017年度公募シンポジウムに採択された公開シンポジウム(企画代表:二文字屋脩氏)を実施しました。
[日時]2018年3月3日(土)、13:00~18:00
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[会場]南山大学・S棟5階S55教室
[プログラム]
13:00 挨拶:後藤明(南山大学)
13:05 企画者による趣旨説明:二文字屋 脩(京都文教大学)
13:15 発表1:二文字屋 脩
「くっつき過ぎてはいけない-ポスト遊動狩猟採集民ムラブリにみる遊動民的身構え」
13:50 発表2:寺尾 萌(首都大学東京)
「移動に根ざす生-モンゴル遊牧民の宿営地移動と生活戦略をめぐる決断とためらい」
14:25 発表3:藤川 美代子(南山大学)
「船に住まい、定住本位の管理社会を生きる-リスク管理としての海洋保護政策・都市化計画と対峙する中国南部の船上生活者」
15:10 発表4:左地 亮子(国立民族学博物館)
「不確実性に満ちた環境に寄り沿い〈動く〉こと-居住地再編に揺らぎ、変態するフランスのマヌーシュ共同体」
15:45 発表5:西尾 善太(京都大学)
「不安定な空間と占有する技法-ディスカルテからみるマニラ首都圏の形成」
16:20 コメント1:中谷 和人(京都大学)
16:45 コメント2:東 賢太朗(名古屋大学)
17:15~18:00 総合討論
[報告]
今回のシンポジウムで取り上げられたのは、タイの遊動狩猟採集民ムラブリ(二文字屋氏)、モンゴルの遊牧民(寺尾萌氏)、中国の船上生活者(藤川美代子氏)、フランスのジプシー(左地亮子氏)、フィリピン・マニラ首都圏のジープニー運転手(西尾善太氏)といった、多様な地域の多様な環境のもとで遊動と定住の狭間に生きる人々の事例でした。
重要なキーワードとなったのが、シンポジウムのタイトルにある「不確実性」でした。定住という生活様式を主とする定住民にとって、不確実性とは一般的に、ネガティブなものとして受け止められます。特に人智を超えた不確実性は、定住民に不安を抱かせ、人は不確実性に満ちた自然を飼い慣らすことでそうした不安を払拭しようとしてきたともいえます。科学を通じた確率論的世界観の確立は、まさにそうした欲望を加速させる原動力として捉えることができます。しかし遊動民はそうではありません。彼らは自然を飼い慣らすことで不確実性を縮減しようとするのではなく、不確実性に寄り添いつつ、不確実性を躱しながら生きている(きた)からです。ここに、定住民とは異なる世界への向き合い方を見いだすことができるでしょう。
そのようなことが可能なのは、自らの身体を土地に根ざした形で改変することで、ある特定の場所を我有化しようとする定住民的な生のあり方ではなく、自らの身体を土地から切り離した形で保ちながら、特定の場所に位置を占めることなく、世界を柔軟に生きていく生を実践しているからといえます。しかしながら、「遊動民の定住化」は世界規模で進行し、各地で遊動が否定されています。政治学者・人類学者のジェームス・スコットは、国家による統治の技法として、近代的な知識や思想による「一元化(simplification)」を指摘しましたが、遊動民の定住化とは、そうした一元化の具体的形象と考えられます。このシンポジウムでは、そのような状況にあって、遊動に生きる/生きた人びとはどのように不確実性に満ちた世界を生きているのかに焦点を当てて議論が交わされました。
コメンテータ二名(中谷和人氏、東賢太朗氏)からの意見を受けて、そもそも「遊動民」とは何であるのか、それはいかに定義可能なのか、あるいは「遊動民の視点に立脚した遊動民語り」はいかにして可能なのか、さらには新自由主義やネオリベラリズム、個人化、自己責任といったリスクコンシャスな主体を要求するリスク社会の不自由さを回避するために、各報告で言及された「遊動民的構え」はいかなる可能性をもち得るかといった点について、議論が交わされました。
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