研究活動 過去の活動報告
公開シンポジウム「人はいかにして時を知り、季節を愛でるのか-天文学と人類学の協同アプローチ-」実施
2017年03月05日
[日時]2017年3月5日(日)、13:30~17:00
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[会場]南山大学名古屋キャンパスS46教室
[共催]人類学研究所・中部人類学談話会
[プログラム]
13:30-13:40 挨拶 後藤 明(南山大学人類学研究所所長・中部人類学談話会会長)
13:40-13:40 講演1「文明の属地性の天文学的側面に関連して」 谷川 清隆(国立天文台・特別客員研究員)
14:50-15:50 講演2「古代アンデスのひとびとは暦をどう数えたか」 佐藤 吉文(南山大学人類学研究所・非常勤研究員)
休憩
15:50-16:05 コメント1 後藤 明
16:05-16:20 コメント2 高田裕行(国立天文台・専門研究職員)
[報告]
まず谷川氏は天文学の発達が緯度、地形(経度)および局地性の3つの要因から異なることを指摘し、各文明で星座の日月運動、星座の中の5惑星および恒星の相対位置(星表作成)について論じた。たとえばバビロニアのバクダットと中国の長安やではやや異なる宇宙を見ていた可能性を指摘した。さらに中国の天文学を中心に一寸千里、60:40、および3:4:5という数字をキーワードに中国天文学の特徴を論じた。
(1) 夏至のときに昼と夜の長さが60:40 になる。冬至では逆(日本もほぼ同じ。太宰府は北緯33 度31 分、京都は北緯35 度)。 (2) 一寸千里(夏至の日、北に千里行くと影が一寸延び、南に千里行くと影が一寸短くなる)。しかしこれは場所によって異なる。 (3) 春分、秋分の近くでノーモンの影が3:4:5 の直角三角形になる。 (厳密には、春分、秋分の日に3:4:5 の直角三角形になるのは北緯37 度あたり) このように現在では世界共通の科学とみられる天文学の局地性について論証した。
次に佐藤吉文氏はアンデスの天文と考古学の関係について論じた。インカ帝国に代表される古代アンデス文明でもは、インカ時代には、太陽、月、星辰の規則的運行を観測してそれぞれ、太陽年、朔望月、恒星月を算出し、それらを複雑に絡み合わせた独自の暦を発達させていた。また、インカ帝国に編入された中央アンデス各地では、それぞれに土地に応じた固有の民俗暦があり、インカ帝国の首都クスコから南方に居住していたアイマラ族は一年を10か月に分割したと言われている。このように、インカ帝国時代の暦については、この国を征服したスペイン人のたちが書き残した文書は不十分ながらもインカ暦に関する情報が記されている。インカが、景観や人口の建築物を目印に空間を利用しながら時間を記録するという方法をとっていたため、考古学的資料からも古代の暦法の一端をつかむことができる。さらにインカ族の祖地といわれ、また現在ではアイマラ族が多く居住するティティカカ湖盆地に興亡した先インカ期諸文化にかんする天文の考古学の研究成果を中心に先インカ期の暦法について論じた。
次いで後藤が北米先住民ホピ族の地平線暦、さらに赤道直下のキリバス諸島における宇宙観や星の航海術についての補足的なコメントを行った。
さらに高田が「アジアの星」プロジェクトを総括する立場から天文学と人類学のコラボの意義について論じ、このような協同プロジェクトをさらに継続していきたい旨コメントした。
趣旨説明 | 谷川 清隆氏 |
佐藤 吉文氏 | 総合討論 |