研究活動 過去の活動報告
映画観賞会と公開講演会「ソナム」
2016年03月06日
共同研究「危機と再生の人類学:土地、記憶、コミュニティ」関連企画
[日時]2016年3月6日(日)、14:00~17:00
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[会場]南山大学名古屋キャンパス R棟地下フラッテンホール
[プログラム]
14:00-14:05 挨拶:後藤明(南山大学人類学研究所)
14:05-14:15 趣旨説明:藏本龍介(南山大学人類学研究所)
14:15-15:35 『ソナム』上映(チベット語、日本語字幕、78分)
15:35-15:50 休憩
15:50-17:30 トークセッション:小川真利枝(『ソナム』監督)・山本達也(静岡大学准教授)
16:30-17:00 意見交換会(フロアからの質問)
『ソナム』紹介
インドの首都デリーの北500kmに位置する山間の町、ダラムサラ。そこにはもう一つのチベットがある。家族と離れ叔父といっしょに、中国統治下の本土から亡命した10歳の少年ソナム。期待と不安でいっぱいの難民一時収容所での生活と旅立ちの記録。
[報告]
この上映会は、人類学研究所共同研究「危機と再生の人類学:土地、記憶、コミュニティ」関連行事である。参加者は約50名であった。 トークセッションでは、亡命チベット人の生活や、亡命チベット人社会の特徴について、活発な意見交換が行われた。またその後の質疑応答においても、フロアから積極的な質問がなされた。話し合われた内容は多岐にわたるが、以下、3点に紹介しておきたい。
①亡命チベット人の生活 亡命ルートは複数存在するが、最も一般的なものはネパールを経由してダラムサラに入るというルートである。亡命には専門の業者が介在している。一人100万円ともいわれるような高額な手数料を支払い、業者の案内で既に確立されているルートを通って亡命する。一族での亡命は高額な上に、リスクを伴う。したがって亡命するのは家族の中から数名であることが多い。この映画の主人公ソナムも、チベットは受けられないチベット語や文化の教育を受けるために、チベット仏教の僧侶である叔父とともに亡命した。亡命者たちは難民一時収容所に保護された後、インドの住民票を得て、年齢や職業に応じたインド国内の学校や寺院などへ送られる。ソナムが送られた学校は、現地のチベット人も多く通う学校である。ソナムはここでチベット語やチベットの文化・歴史のほか、英語や数学といった科目も学習する。もちろん、亡命チベット人の生活はインドに限定されるわけではない。インドの外、たとえば欧米へと出て行く場合もあるし、さらに、亡命したからといって本土に帰れないとは限らない。その結果、亡命チベット人のネットワークは世界中に広がっている。近年の情報機器(携帯電話など)の発達も、こうしたつながりの拡大と強化に影響を与えていると考えられる。
②亡命チベット人社会の特徴 亡命チベット人の生活は、「別離と再会」の繰り返しである。亡命者は本土から離れて(家族と離れて)難民一時収容所へやってくる。そしてそこで同じ亡命者として擬似家族的なつながりを深めていく。しかしそれもつかの間であり、亡命者はちりぢりに散っていく。しかしそこでも同じチベット人同士、新たなつながりを築いていく。このように亡命チベット人社会の特徴は、ダラムサラやあるいはチベット仏教の拠点である南インドのセラ寺などを拠点としながら、「別離と再会」によって編み込まれたネットワークのようなものとして広がっている。 とはいえ、亡命チベット人社会は一枚岩というわけでは決してない。ダラムサラに亡命政府が樹立されてからもうすぐ60年が経とうとしている。そうした中でかつての亡命者の子孫たちは、インドの地に順応しつつある。たとえば言葉ひとつをとっても、ダラムサラで用いられている言葉は本土のものとは異なっている。また、一口に亡命者といっても、本土における出身地は多様である(ソナムは東チベット出身)。こうした違いは、政治的な信条や活動のあり方にも影響を与えている。メディアを賑わすような「独立」や「高度な自治」を目指す政治的言明から離れ、人々の生きる現場に目を向けてみると、たとえばまだ幼いソナムにもみられたように、そこにはそうした大義名分とは別の次元で、新たな環境を生き抜こうとするチベット人たちの姿がある。こうした点をも浮き彫りにしたところに、映画『ソナム』の特徴が現れている。
③亡命チベット人社会、あるいはチベットの行方について ソナムのような少年に託されたのは、本土では蹂躙されているチベット文化を学び、継承するという役割である。しかし新たな環境で生きる中で、そうした大義名分は失われやすい。実際、ダラムサラはチベット文化の中心とは言いがたい状況がある。一方で、チベット文化復興運動とでも呼びうる現象は認められるし、また、2008年以降、中国に対する焼身抗議が特に顕著になっており、その数は現在までに150人を超えている。ダラムサラにおいても、焼身抗議のニュースは町内放送やラジオを通じて流れ、多くの人が追悼集会に参加し、祈りを捧げている。その中で中心的なシンボルとなっているのが、ダライ・ラマ14世である。激動し変化し多様化するチベット人社会を、根底においてつなぎとめているダライ・ラマ・14世は、しかし既に80歳と高齢であり、最近は健康不安も出ている。国際情勢の変化、チベット亡命政府の行方、そしてダライ・ラマ14世の健康不安など、チベットを取り巻く環境は大きな過渡期にある。小川監督は、現在もダラムサラでの撮影を続けている。続編にも大いに期待したい。
小川真利枝監督 |
山本達也氏 |
トークセッションの模様 |