研究活動 過去の活動報告
講演会「古代アンデス社会の危機」
2013年06月22日
共同研究会「危機と再生の人類学」関連
[日時]2013年6月22日(土)14:00~17:30
[会場]南山大学名古屋キャンパスR棟R31教室
[講師]鶴見 英成(東京大学総合研究博物館)、大平 秀一(東海大学)
[プログラム]
鶴見 英成(東京大学総合研究博物館)
「アンデス文明形成期社会の水害へのレスポンス」
大平 秀一(東海大学)
「16 世紀・アンデス先住民の「危機」:「征服」・植民地化・先住民間抗争」
[報告]
今回、共同研究「危機と再生の人類学」の企画として、二人の講師をお招きして講演会「古代アンデス社会の危機」を行った。講師のお二人はアンデス考古学者であり、それぞれ、ペルー、エクアドルで堅実な調査を積み重ねてきている研究者である。危機と再生というテーマについて、独自の調査データに基づき講演された。いずれも今回の共同研究会の方向性を見定める上で、非常に示唆に富んだ内容であった。各講演の内容は以下の通りである。
①「アンデス文明形成期社会の水害へのレスポンス」 鶴見 英成(東京大学総合研究博物館)
アンデス形成期(紀元前3000-50年)の社会を事例として、自然災害と社会の関係について論じた。アンデス形成期には、各地に神殿が建設され、それが社会的紐帯の核として機能していた。そしてそれぞれの神殿は造り替えられ、古い神殿が新しい神殿の内部に埋め込まれ、規模が大規模化する場合が多かった。調査地のペルー北部ヘケテペケ他に中流域でも、神殿の造り替えが認められるが、他の地域とは異なり、同一地点ではなく、少しずつ場所が移された。その要因の一つが、現地でワイコと呼ばれる鉄砲水であったと考えられる。
そしてワイコを避けるために神殿の場所を移すことと平行して古い神殿のそばに墓が建設されるようになり、神殿建設と祖先崇拝が結びついていったと論じられた。被葬者は当時の社会で指導的役割を担っていたと考えられる神官集団と考えられる。 以上のようにワイコという自然災害が起こることで、社会が変化していった結果が認められるが、逆に捉えると、そうした自然災害を神官集団にとってのチャンスと捉えることもできる 。
長年の綿密な調査の結果得られた、傾聴に値する仮説である。また、災害を単独の出来事としてではなく、長いタイムスパンで観察することで浮かびあがるパターンを浮き彫りにしている。危機を分析する際に気をつけなければならない点であろう。
②「16世紀・アンデス先住民の「危機」:「征服」・植民地化・先住民抗争」大平 秀一(東海大学)
フランシスコ・ピサロ率いるスペイン人一行がインカ帝国を征服したのは1532年のことである。それからアンデス先住民はスペインの植民地支配下で急速な変化を経験していった。この変化を、遺跡に残された証拠から少しずつ解明している。 調査地はエクアドル南部高地であり、インカ期の施設が放棄され遺跡化している様子が確認できた。推定で数千基ある土坑墓からはガラス製品を含む副葬品も出土しているため、墓は植民地時代のものと考えられる。ヨーロッパの人々との接触がきっかけとなり、先住民間に危機的状況、抗争が生じたと考えられる。また、切り合い関係から、墓の建設時期は短期間ではなく、ある程度の期間にわたると考えられる。
インカ期から植民地時代にかけては、植民地時代に残された主にスペイン語で書かれた記録文書を基にこれまで研究されてきた。遺跡調査はそれを補い、また修正する形で用いられてきた。エクアドル高地の事例については、それをクロスチェックする史料が殆どないが、それは遺跡化が急激に進んだことが要因と考えられる。アンデスの人々では自然の中に宿る聖なる対象を信仰していたが、そうした共同体の紐帯の核が失われれば、記憶、コミュニティも喪失していくことを示した事例である。 研究の空白地帯で行われた調査結果は貴重なデータであるが、関連する文字記録が不足しており、解釈は難しい。逆にそのことが当時の危機的状況を照らし出している。
講演する鶴見氏 | 講演する大平氏 |