社会倫理研究奨励賞 歴代受賞論文
第2回社会倫理研究奨励賞
2009年02月20日
2009年2月20日に行なわれた第2回社会倫理研究奨励賞選定委員会における厳正な審査の結果、下記論文を受賞論文と決定いたしました。
- 受賞論文 『環境倫理学』から『環境保全の公共哲学』へ―アンドリュー・ライトの諸論を導きの糸に」
- 【掲載誌名】】『公共哲学』第5巻第2号、118-160頁、2008 年9月
- 著者 吉永 明弘
受賞論文 講評
加藤尚武(第二回社会倫理研究奨励賞選定委員会委員長)
この懸賞論文の企画は、社会倫理の研究を奨励するという目的で設立されている。「社会倫理」という既成の学問領域が確定しているのではない。さまざまな既成の学問領域を越境するような形で、従来の研究が見落としていたような問題の鉱脈を発掘することが期待されている。
しかし、さまざまの領域の専門家が、社会倫理の論文の審査をすると、それぞれ自分の専門領域に関して厳しい審査をすることは当然である。応募する側から見ると、たとえば自分は倫理学の専門家であるのに刑事訴訟法の領域に越境して主題を拡張したのだから、単に刑事訴訟法の論文として評価されたのでは不服であると言いたくなるだろう。本来ならば社会学の論文として審査されなければならないアンケート調査報告が、生命倫理学の論文として提出されることもある。社会倫理という主題が、そもそも領域を超えるという特色をもつので、個別領域での審査基準と多数領域にまたがること自体の独自性の評価とが、審査会場では、ぶつかり合う。
今回入選した吉永論文は、アメリカの環境倫理学の新しい動向を伝えるものとなっている。環境倫理学という領域は、狭い意味では自然保護運動の支えとなる理論的な研究である。アルド・レオポルド(1887-1948)の著作(1949)にもとづく「土地倫理」という言葉が生態系そのものを保護対象とするべきであるという訴えであった。そこには野性的な自然の生命に「内在的な価値」(intrinsic value)を置くという姿勢が読み取れる。これに対して、自然の利用対象としての価値、「道具的な価値」(instrumental value)を承認する立場、すなわち「環境プラグマティズム」が、後から登場しているという状況を踏まえて、その環境プラグマティズムの一人の代弁者であるライト(Andrew Light)の諸論文を総合的に俯瞰してとらえた点が高く評価された。
ライトの主張の第一点は、「人間非中心主義・自然の価値論が、学際的連携、幅広い公衆へのアピール環境保護運動の参加者への動機づけに失敗した」という点にあるが、「人間非中心主義・自然の価値論」というところにアメリカの環境倫理学の偏りがあったという指摘は、アメリカの外から見ると意外な感じがする。
環境問題そのものは、たとえば日本では水俣病問題を扱った運動に見られるように、人間中心主義を離れるということはなかったし、日本だけでなく、工場排水、大気汚染の問題など健康被害に取り組んだ運動は、すべて人間中心主義である。ところがアメリカの環境保護運動の一部の参加者とノルウエーの哲学者ネスの「ディープ・エコロジー」が、自然に対する人間の実用主義的な視点そのものを批判した。それに対して「環境プラグマティズム」があとから登場してきた形になる。
ところが一部の研究者の間では、環境倫理=人間中心主義批判という受け止め方がされていたために、「環境プラグマティズム」が新しい動向という形をとることになった。
ライトの主張の第二の特徴としては世代間倫理への言及があるとされている。これもアメリカの哲学者の視野に入っていなかった視点を、ライトが指摘したということの紹介である。廃棄物の累積による環境破壊が、現在の世代による未来世代の生存条件の侵害という世代間関係を持つという含意は、アメリカの環境倫理学が主題的にとりあげることが、比較的すくなく、関心は極めて希薄である。人間中心主義批判という視点では、現在の人間の未来の人間の生存条件への侵害に焦点をあてることが、人間中心主義という過ちの圏の中での権利侵害とみなされざるを得ないからである。
第三の特徴として、都市にライトが着目していることを吉永が指摘している。都市は人間のもっとも重要な生存の場であるから、その環境を視野に入れることは、当然のことなのだが、自然保護を中心とする環境倫理学者は、まるで都市を廃絶して田園と荒野を人間の生存の場として残したいという本音をさらけだして都市環境を視野に入れなかった。
吉永は、ライトが「メタ倫理学から公共哲学へ」という方向づけを示唆しているという趣旨を語っている。公共性という場は、時間的には現在に帰着する、実体としては人格の集合に帰着するというのが、環境倫理以前の公共性の概念であるが、この概念が根本的に考え直される可能性がある。
このことは持続可能性に関する国連報告 (環境と開発に関する世界委員会=ブルントラント委員会)報告書―1987年―の表題がOur Common Future(邦題:我ら共有の未来)とされていることに端的に表れている。公共性の実体は、現在世代と未来世代の全体と見なされざるをえない。
吉永論文には、アメリカのアカデミズムの倫理学では新しい動向である「環境プラグマティズム」が、アメリカ文化一般、または世界の環境問題という視点でみると、決して新しい動向ではないということを指摘してもらいたかった。
また「メタ倫理学から公共哲学へ」という方向付けも、すでに現実によって先を越されているのであって、ライト論文を乗り越えて、すでに胎動している新しい公共性が何であるかを提示すべきであったと思う。
最終候補論文(佳作)
自薦・他薦併せて14 篇の応募論文の中から、最終審査に残った最終候補論文は以下の通りです。
- 池田丈佑「『ポストアウシュビッツ救出原理』としての『保護する責任』」(『社会と倫理』第22号)
- 小城拓理「国籍とその取得について」(『応用倫理学研究』第4号)
- 林誓雄「おとり捜査の運用論」(『応用倫理学研究』第4号)
- 藤木篤「船員のアスベスト被害、その実態と課題―元船員の証言より」(『21世紀倫理創成研究』通巻1号)
第二回社会倫理研究奨励賞選定委員会
- 加藤尚武(鳥取環境大学名誉学長/京都大学名誉教授)【委員長】
- 伊勢田哲治(京都大学大学院文学研究科准教授)
- 川﨑 勝(南山大学経済学部教授)
- 丸山雅夫(南山大学大学院法務研究科教授)
- 山田哲也(南山大学総合政策学部教授)
- 坂下浩司(南山大学人文学部准教授)
- 鈴木貴之(南山大学人文学部講師)
- マイケル・シーゲル(社会倫理研究所第一種研究所員)