研究活動 活動報告
2018年度第1回映画上映会「私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在」実施
2018年12月09日
[日時]2018年12月9日(日)、14:00~17:15(13:30開場)
[会場]南山大学ロゴスセンター1階ホール
[主催]南山大学人類学研究所
[プログラム]
14:00~14:10 あいさつ、趣旨説明(宮沢千尋=南山大学人文学部教授)
14:10~14:55 「私の父もそこにいた」上映
14:55~15:15 休憩
15:15~15:45 添野江実子氏による解説(映画「私の父もそこにいた」の企画・出演)
15:45~16:45 井川一久氏による解説(元朝日新聞ハノイ・サイゴン・プノンペン支局長、元大阪経済法科大学客員教授)
16:45~17:15 質疑応答
[司会]宮沢千尋
※参加無料・予約不要
[映画概要]
1945年8月15日の終戦後も、駐屯していたベトナムから帰国せずに600人余りの日本兵が残留して、ベトナム独立を目指すホー・チ・ミンとともにフランス軍と戦った。ベトナムのために生命をかけた彼らをベトナム人は「新しいベトナム人」と称えたが、彼らの多くはその事実を日本に帰国しても語らなかった。それから70年。平和になり、発展するベトナムに旅行するという娘の「おじいちゃんの写真をベトナムに持っていく」という言葉をきっかけに、ある残留日本兵の娘(添野江実子氏)がベトナムでの父の足跡をたどる旅を始めた。ついにはベトナムに降り立ち、日本兵がベトナムに残した家族に父の消息を尋ねて回るドキュメンタリー作品(ベトナム語字幕あり)。
[報告]
1945年8月15日の敗戦をベトナムで迎えた日本軍兵士のうち、約600人がその後のベトナムに留まり、ホー・チ・ミン(ベトナム共和国初代国家主席)が率いる独立戦争に参加してフランス軍と戦ったことは、従来、日本ではほとんど知られていなかった。生き残って帰国した兵士たちが、そのことについて家族にもほとんど語らなかったことによる。
茨城県に住む添野江実子氏も、そのような元残留日本兵の1人の娘である。父の死後、自分の娘がベトナム旅行に行く際に「おじいちゃんがベトナムに行きたがっていたけど、連れて行ってあげられなかったから、せめて写真を持っていく」という言葉で、「父はベトナムで何をしていたのだろう?」と初めて父のベトナムでの事績に疑問をいだいたことから、このドキュメンタリーは始まる。
添野氏は、元残留日本兵、元残留日本兵が日本に帰国した際に連れてきたベトナム人の妻との間に生まれた子供、元残留日本兵が帰国後に結婚した日本人の未亡人、このテーマについて長年に渡り取材や研究を続けてきた元ベトナム駐在の新聞記者らに、ベトナム残留日本兵のこと、父のベトナムでの行動や居場所を尋ね歩く。そして、遂にはベトナムまで赴き、元残留日本兵のベトナム在住の家族を訪ねるのだった。
映画の上映後、添野氏からは、父・綱河忠三郎氏のベトナムでの行動の詳細は結局まだわからないこと、厚生労働省の記録では「脱走兵」扱いであること、また、個人情報保護の壁に阻まれて情報を完全には取得できないことなどのお話があった。また、ベトナムテレビでも独自に添野氏のドキュメンタリーを制作して、ベトナムで放送したそうである。
井川一久氏からは、ベトナム文化と日本文化の類似性なども踏まえながらのお話があった。ベトナム独立戦争における日本人の役割をあまりに過大視するのも問題ではあるが、少なくとも1945~1946年段階で、生まれたばかりのベトナム民主共和国が確固たる統治権力を確立できていない状況下でフランスの再侵略に対抗するためには、日本軍兵士やその武器が不可欠であったというお話があった。さらに、生き残った元残留日本兵が語ろうとしないために取材が困難を極めたこと、残留日本兵もその妻もほとんどが死去されているなかで、後代に語り継いでいくためには、公的な援助の下での本格的な調査プロジェクトを立ち上げるべきであるとの問題提起もあった。当日は、いわゆる「ベトナム反戦世代」から、大学1,2年生まで幅広い年代の人々が集まり、関心の高さをうかがわせた。
会場の様子 | 司会:宮沢千尋氏 | 解説:井川一久氏、添野江実子氏 |