COLLECTION今泉隆平コレクション

STORY

歴史を彫る、語る、演じる

首長のシンボル〈トコトコ〉(ニュージーランド、今泉コレクション、Ⅳ-452-S)

ニュージーランドの先住民であるマオリのことを聞いたことのある人の多くは、もしかしたらラグビーを見たことがある人かもしれない。ラグビーのニュージーランドナショナルチーム、オールブラックスは、その強さだけでなく、試合前にハカをすることでもよく知られる。「カ・マテ! カ・マテ!」と踊るハカは、非常に迫力がある。ラグビーファンでなくても知っている人がいて私は驚いたことがある。これは、「死ぬかもしれない、死ぬかもしれない」と歌う歌詞である。ちなみに、1990年代「カ・マテ! カ・マテ!」をモジって「がんばって、がんばって、仕事」と歌う日本のCMが作られたことがあったが、あれは文化の流用の最たる例の一つである。ただ、これは少し話が逸れるので、導入部分で留めておきたい。私がここで話をしたいのは、歌と踊りといった無形の文化と、博物館で展示されるような有形のモノとの交錯点である。それが、歴史・記憶の継承である。

インターネットでは調べることのできない日本の歴史を深く学ぼうとする時、多くの人は書物を開くことになるだろう。それは江戸時代の巻物かもしれないし、平安時代の書かもしれない。そして、その文字を読み解いて、当時のことを知ろうとする。ところが、マオリの歴史を知ろうとする時に、同じ手順で歴史を学ぶことはできない。なぜなら、マオリは文字を持ってこなかったからだ。

文字を持たなかったからといって、歴史を継いでこなかったわけではない。歴史は、歌の中に、踊りの中に、彫刻の中に、タトゥーの中に織り込まれ、彫り込まれ、受け継がれてきた。マオリは伝統的に顔にタトゥーをいれることがあるが、まずその例を紹介しよう。テ・ぺヒ(Te Pehi)というマオリの首長の一人は、1826年にイギリスを訪れた。その際、西洋人は彼のタトゥーが施された顔を絵に描こうとしたが、テ・ぺヒは模様が正確に写されるかどうかを気にし、結局自身でそれを描いた。しかも鏡も用いずに! そして、一つ一つの線を辿りながら、ここは私、これは兄弟、息子と名前をあげていったのだという。つまり、一つ一つのタトゥーの模様やラインは、単なるパターンではなく、テ・ぺヒの家族や親族のことを語る物語だったのである。だから、それが正しく伝わるように模様は正確に記録されるべきと彼は考えた。

いまから200年近く前のことだし、と思われるのは不本意なので、最近のことも挙げておこう。例えば、「マラエ」という伝統的な集会場には、彫刻が施された「ファレ・ヌイ」(大きな家)が建てられている。フィールドワークでいつもお世話になっているホスト父に、あるマラエへ連れていってもらった時、ファレ・ヌイの正面に建てられている彫刻が施された柱を説明してくれた。「柱の一番上に武器を持った人が彫られている。その下に8人の顔があり、一番下には3人いた。一番上の人が首長で、3人の女性と結婚し、8人の子どもがいたのだ」という。このように、タトゥーや彫刻も、歴史や物語、あるいは思いや願いを刻み、運び、残す役割を持っている。

また、親族が集まって歌と踊りの大会に向けて歌詞を習っている時、ひとりの叔母が、この歌で歌っているのはこの人だよ、とファレ・ヌイの中にある彫刻を指して話してくれた。歌と踊りは歌詞があってそれが歴史を語っている。ところが、歌詞だけを見ても、それが誰の、どんな歴史を語っているのかはわからないであろう。例えば「カ・マテ! カ・マテ!」も、誰が死ぬかもしれないと言っているのか知らなければ、それは単なる歌詞になってしまう。だからこそ、歴史語りとともに、次世代に伝えることが重視されるのである。彫刻もまた同じように、それを読み取れる人が、歴史語りとともに知識を次世代に繋いでいる。それはファレ・ヌイにある彫刻も、さまざまなモノに施される彫刻も、また身体に彫り込むタトゥーも同様である。

マオリのモノは世界各地の博物館に収蔵されている。その多くには彫刻が施されている。製作者は、ワカ・フイアであろうと、トコトコであろうと、その一つ一つに固有の名前をつけることが多い。なぜなら、それらは単なる容れ物や杖ではなく、歴史を引き継ぎ、体現し、継承する重要なモノだからである。ただし、文字資料と比べると、読み手を選ぶ。どういった物語が彫り込まれているのか、彫刻だけではわからないこともしばしばだ。さまざまなモノも、タトゥーも、そして歌と踊りも、それぞれの方法で歴史を物語っている。だから、関係する人たちの歴史を預かっていると思って、大切に、適切に管理されていてもらいたいし、見る人にもそういう視線を持って、敬意と共に見てもらえたらうれしい。

KEYWORD

ニュージーランド

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