COLLECTION今泉隆平コレクション

STORY

首狩りと報復殺人の島々における財貨

貝貨の婚資〈アクワラ アフ〉(ソロモン諸島、今泉コレクション、Ⅵ-70-N)

首狩りや報復殺人で恐れられた島々

赤道の南側に位置するソロモン諸島国は大小1000を超える島々から成っている。そこにはかつて、集団間の首狩り襲撃や報復殺人といった「暴力の文化」と呼びうるようなものがあった。ソロモン諸島の北西部の島々(特にニュージョージア諸島)では首狩り襲撃が、南東部に位置するマライタ島やガダルカナル島では「殺されたら殺し返す」という報復殺人が頻繁に行なわれていた。

ニュージョージア諸島のロヴィアナの人びとは首狩り襲撃の拠点とみなされ、キリスト教宣教師らに恐れられた。男性が一列に座って一斉に漕ぐ戦闘カヌー「トモコ」に乗り込んで近隣の島々を襲っていたのは、20世紀初頭のキリスト教化以前のこと。敵集団から女性や子どもを誘拐し、抵抗する男性の首を狩り、あるいは奴隷にして集落へと凱旋することが、彼らの威信を高める一つの方法だった(写真1)。民族標本を扱う博物館には、こうした戦闘をめぐる物質文化(武器や威信財)も多く収蔵されている。

南山大学人類学博物館の今泉コレクションに含まれているソロモン諸島の標本資料には、首狩り襲撃時にカヌーを漕ぐためのパドルを兼用したと思しき形状の棍棒もみられる。それと同時に、色味の鮮やかな4色の貝殻をビーズ状に加工して特定の配列で紐に通した財貨や、大理石のように白く重厚感のある透かし彫りが施された貝殻製の飾り板なども含まれている。このエッセイでは、特に財貨に焦点を当てることにしよう。

暴力の連鎖を断ち切るための財貨

ソロモン諸島の一部の島々には伝統的な紛争処理の仕方がある。それは、伝統的なリーダーが立ち合い、大勢の観衆が見守るなかで、当事者集団が互いに収穫作物やブタ、財貨などを贈り合う儀礼を行なうものである。

一人が傷付けられたなら、加害者側の集団もまた一人が傷付けられなければならない。一人が殺されたなら、加害者集団もまた一人死ななければならない。この等価交換の原則に従うならば、傷害・殺人の被害者側が流した血と同じだけの血を加害者側も流さなければならない。こうして繰り返される暴力の連鎖を「血讐(けっしゅう)」と呼ぶのは理に適っている。

しかし、マライタ島中部山岳地域に暮らすクワイオの文化について、文化人類学者のロジャー・キージングは次のように述べている。「攻撃を受けた集団は、彼らの名誉と自尊心にかけて激怒し、報復しなければならなかった。しかし、ほとんどの場合は、報復殺人よりも賠償を受けることの方に関心があった。社会規範に反するさまざまな行ないは殺人を引き起こすこともあったが、いずれの違反に対しても、壊された社会関係を元通りにするための賠償というやり方が存在したのである」。名誉と自尊心のために復讐しなければならないという規範と、暴力の連鎖を断ち切るためのやり方。貝殻製の財貨のやりとりは、暴力の文化とともに培われてきた紛争処理の文化でもあったのだ。

なお、ソロモン諸島の一部の島々では、結婚するときに花婿側から花嫁側へ貝ビーズ製の財貨が贈られる(写真2)。これは、「結婚=相手集団から女性(花嫁)を盗む」という発想があるからである。盗むことは集団間の紛争を誘発し、暴力の応酬に繋がりかねない。花嫁側の集団に対して花婿側の集団が貝ビーズ製の財貨を贈ることは、暴力的な紛争を収めることと連続しているのである。

20世紀末の内戦と紛争処理

暴力の応酬がみられた時代は、キリスト教への改宗が進んだ20世紀初頭に終焉をみた。1942年にソロモン諸島まで及んだ太平洋戦争で、日米両軍がガダルカナル島北岸を舞台に凄惨な地上戦を繰り広げた。戦後、米軍施設を再利用する形で現在の首都ホニアラが建設された際、同島の北東約100キロメートルに位置するマライタ島から大勢の労働者が移住してきた。首都の発展につれて、ますます多くの他島出身者がホニアラやその近郊に移住してくるようになった。移民を受け入れる側であったガダルカナル島の人びとは、先祖伝来の土地で生み出される経済開発の利得を他島出身者に奪われる状況や、他島出身者から受ける礼節を欠いた行動などに不満を募らせていた。

1998年末にガダルカナル州首相が積年の不満の解消を要求したことは、同島出身の若者たちを焚きつけ、武装集団を組織して他島出身者(特にマライタ系住民)を暴力的に排斥する行動へと駆り立てた。当初は一方的な被害者であったマライタ系住民も、ソロモン諸島国政府が早急に事態を収拾できなかったことから武装集団を結成して抗戦を始めた。オーストラリア主導の介入部隊が派遣されることで終結をみたこの内戦は約4年半にわたり、死者数は約200名、国内避難者数は35,000名以上にのぼった。

内戦中にみられた停戦の試みや内戦後の社会再構築の試みにおいて、先に述べたような貝ビーズ製の財貨を集団間で贈り合うことがあった。かつてのような首狩り襲撃や報復殺人はみられなくなったとしても、財貨によって紛争を処理する文化は息づいているのである。

KEYWORD

貝貨

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