センター創設の原点/初代センター長インタビュー

初代センター長・岩野一郎先生に聞く、
「南山大学アメリカ研究センター創設の原点」

2026年、南山大学アメリカ研究センターは設立50周年を迎えました。
中部地方にはアメリカ研究の拠点がなく、研究者や学生は研究を進めるために東京や京都にある資料に頼らざるを得なかった時代。その状況を変えたい、という思いから、在日合衆国教育委員会(現日米教育委員会)、いわゆるフルブライト委員会の支援を受けて誕生したのが南山大学アメリカ研究センターです。設立から半世紀。その礎を築いた初代センター長・岩野一郎先生に、設立秘話、教育への思い、そして未来への期待についてお伺いしました。

聞き手:山岸敬和(南山大学アメリカ研究センター長)
(取材日:2026年7月6日)

アメリカ研究との出会い、そして南山へ

山岸

岩野先生がアメリカ研究に関心を持ったきっかけや、南山大学でアメリカ研究に関わるようになった経緯からお聞かせいただけますか。

岩野

私がアメリカに興味をもったのは、子どもの頃にさかのぼります。イタリアにはイタリア語、ドイツにはドイツ語があるのに、アメリカには「アメリカ語」がない。私はアメリカは不思議な国だなと思っていました。高校で世界史を勉強し、イギリスの植民地だったアメリカが独立した歴史を知って、ますます興味を持つようになりました。
その後、東京大学教養学部アメリカ科へ進み、1964年からシカゴ大学大学院へ留学。当時は国際政治学者のハンス・モーゲンソー氏も健在で、アメリカ政治や国際政治を学ぶには非常に刺激的な時代でした。その経験が、後の研究人生の土台となっています。帰国後は東京大学アメリカ研究資料センターに勤務していましたが、恩師から「名古屋の南山大学で、アメリカ研究者を探している。行ってみないか。」とご縁をいただき、1968年に南山大学へ赴任することになりました。

山岸

当時の南山大学や、日本におけるアメリカ研究は、どのような状況だったのでしょうか。

岩野

私が赴任した当時、この地域では愛知県立大学や南山大学を中心にアメリカ研究者が集まり、熱心に学部教育が行われていました。ですが研究資料を体系的に収集・整備する拠点は存在せず、東京や京都の研究機関に依存せざるを得ない状況だったんです。「アメリカ研究をするには本や学術資料が必要」という課題意識が、やがてセンター設立構想へとつながっていきました。

中部にアメリカ研究の拠点を

岩野

転機になったのは、1974年でした。アメリカ学会で、東京大学アメリカ研究センターの久保田きぬ子先生にお会いしたんです。先生が、「フルブライト委員会が、アメリカ研究を充実させる大学にグラント(助成金・交付金)を出すらしいから、名古屋に拠点をつくるために頑張ってみたらどうですか。」と言ってくださった。あの一言がなかったら、センターは違う形になっていたかもしれません。
1974年、在日合衆国教育委員会(フルブライト委員会の正式名称)は、日本の大学におけるアメリカ研究の振興を目的とした機関助成制度を公募しました。これを受け、南山大学は、中部エリア全体のアメリカ研究者が利用できる研究拠点の設立構想を掲げて応募しました。
そして1975年春、フルブライト委員会は南山大学に対し、3年間で総額1,100万円の助成を決定します。当時としては破格の支援で、500万円は図書や資料の整備に、600万円はアメリカ史やアメリカ経済を担当する若手教員の採用に充てられました。
本を買うだけではなく、教育体制そのものを充実させるための助成だったんです。中部エリアのアメリカ研究を支える拠点をつくろうという、大きな期待が寄せられていたのだと思います。こうして進められたセンター設立は、単に研究資料を集めるだけではなく、中部におけるアメリカ研究の教育・研究基盤を築く、大きな一歩となりました。
こうして1976年、南山大学アメリカ研究センターは誕生しました。設立当初は第1合同研究室棟の小さな一室からのスタートでした。その後、蔵書の増加に伴い宗教文化研究所が入る棟へ移転し、中部におけるアメリカ研究の拠点として歩み始めました。

山岸

資料を整備し、若手研究員を育て、研究環境をつくる。それが設立当初の大きな使命だったわけですね。

「人」を育てるセンターを目指して

山岸

先生は、どのようなセンターを目指しておられたのでしょうか。

岩野

本や学術誌などの資料はもちろん必要です。でも、それだけでは研究は育ちません。一番大事なのは人だと考えました。研究者や学生、教育者が集まり、そこから新しいものが生まれる。センターは、そういう「場」でなければならないと思っていたんです。
そこで、国内外の研究者を招く講演会やセミナーにも力を入れました。大きな支えとなったのが名古屋アメリカン・センターです。海外の研究者が南山を訪れ、学生や若い教員と交流する。その積み重ねが、センターの存在を広く知っていただくことにもつながりました。

山岸

教育面では、「アメリカ研究概論」も大きな取り組みだったそうですね。

岩野

中屋健一先生が一年間、南山に来られたとき、「イントロダクトリー・コースが大事だ」と提案してくださったんです。アメリカ史、政治、経済、文化を、それぞれの専門家が分担して教える。そこで、東京大学時代の恩師や研究仲間に声をかけ、日本を代表する先生方に授業を担当していただきました。卒業生からは今でも、「一年生の必修で大変だったけれど、印象に残っている」と言われます。十年ほど続けるうちに、南山の若い先生方が育ち、自分たちで授業を担えるようになっていきました。また、アメリカ研究センターを設立して間もなく、英文ジャーナル『Nanzan Review of American Studies』を創刊しました。後にはNagoya American Studies Summer SeminarNASSS)もセンターの歴史の中でとても重要な取り組みでした。

山岸

NASSSで学んだ大学院生の中には、現在、大学で教えている方も少なくありません。
先生が大切にされた「人のつながり」が、今も受け継がれていると感じます。

岩野

私は、自分では研究者より教育者のほうが向いていたんじゃないかと思っています。学生のリサーチペーパーを真っ赤になるまで添削し、卒業後30年以上続けた勉強会もありました。その中から大学教員になった人もいます。大学は研究成果を生み出すだけでなく、人を育てる場所でもあります。研究者同士が出会い、学生が刺激を受け、次の世代が育っていく。それこそが、センターの大切な役割だと思い活動をしてきました。

語学と地域研究は「車の両輪」

アメリカ研究センターの50年を振り返る中で、岩野先生が何度も語った言葉があります。
「語学と地域研究は車の両輪である」と。
外国語を話すことと、その国を理解することは、似ているようで本質的には異なります。語学はコミュニケーションの手段ですが、その国の歴史や文化、宗教、政治、社会を知らなければ、その言葉の背景までは理解できません。
「語学だけでは、その国は分かりません。政治だけでも、経済だけでも、文化だけでもない。歴史があり、宗教があり、人々の暮らしがある。そうした背景を総合的に理解して初めて、その国の姿が見えてきます。」
岩野先生は、近年のアメリカ社会を例に挙げます。
移民問題や宗教、最高裁判所の判決など、日々さまざまなニュースが報じられています。しかし、その背景には建国の歴史や南北戦争、憲法修正条項など、長い歴史の積み重ねがあります。ニュースの出来事だけを追うのではなく、「なぜ、その出来事が起きたのか」を理解するためには、その国の歴史や文化、価値観を知ることが欠かせません。
だからこそ、語学教育と地域研究は切り離せないものだと岩野先生は考えてきました。
「言葉を学ぶこと」と「その国を知ること」。
その両方がそろって初めて、世界を多面的に理解する力が育まれる。この考え方は、アメリカ研究センターの設立当初から受け継がれ、現在の地域研究センターへと引き継がれている考え方でもあります。

次の50年へー受け継がれていくもの

山岸

50周年を迎えた今、先生方が築かれた土台の上に、私たちは次の50年をつくっていかなければなりません。
これからのアメリカ研究センターに期待されることをお聞かせください。

岩野

私は、土台はもう十分できていると思っています。この50年間で、多くの先生方や学生がセンターを育ててきました。これからも、その精神を大切に次の世代へ受け継いでいってほしいです。

山岸

先生は「語学と地域研究は車の両輪」とおっしゃっていました。
その考え方は、今の地域研究センターにも受け継がれています。

岩野

語学だけでは、その国は分かりません。政治、経済、歴史、文化、宗教、人々の暮らし―それらを総合的に見て初めて、その国が見えてきます。だから地域研究は、これからますます重要になっていくと思います。 最近のアメリカ社会を見ても、移民問題や最高裁判所の判決など、その背景には長い歴史があります。歴史や文化、宗教まで含めて理解し、その背景を伝えられる人を育てること。それも地域研究の大切な役割だと思っています。

山岸

先生のお話を伺い、この50年の歩みは、多くの先生方や学生との出会いによって築かれてきたのだと改めて感じました。
その思いを受け継ぎながら、私たちも次の50年につないでいきたいと思います。
本日はありがとうございました。

岩野

今回のインタビューをきっかけに、久しぶりにアメリカ研究センターを見せていただきました。50年前、小さな部屋から始まったセンターが、こうして多くの人に支えられながら続いている。それが何よりも嬉しいですね。新しいことを始めるのも大切です。でも、それ以上に難しいのは、続けることです。どうか、この50年を大切にしながら、次の50年へつないでいってください。

南山大学アメリカ研究センターの50年を振り返る(2026年7月6日開催)

南山大学アメリカ研究センター設立の経緯

南山大学アメリカ研究センターは、在日合衆国教育委員会(フルブライト委員会)によるアメリカ研究振興のための機関助成を受け、1976年に設立されました。
1970年代半ばまで、中部地域には多くのアメリカ研究者が在籍し、愛知県立大学や南山大学の英米科でも、アメリカ研究に関する科目が数多く開講されていました。一方で、この地域には、アメリカ研究に必要な図書や学術雑誌などを体系的に収集・整備する中核的な研究機関がなく、研究者や学生は東京や京都の資料に頼らざるを得ない状況にありました。
こうした背景のもと、南山大学は、フルブライト委員会が公募した日本の大学におけるアメリカ研究振興のための機関助成制度に応募しました。中部地域のアメリカ研究者のための研究資料センターを設立するとともに、学内におけるアメリカ研究の教育・研究をさらに充実させることを目的として、アメリカ研究センターの設立を提案したのです。
1975年春、フルブライト委員会は南山大学に対し、3年間で総額1,100万円の助成を行うことを決定しました。この助成は、アメリカ研究関連分野の教員体制を充実させること、またアメリカ研究に必要な図書・資料を整備することを目的としたものでした。さらに、フルブライト委員会は、同センターが中部地域全体のための大学間共同利用機関となることを期待していました。

アメリカ研究センターにて、岩野一郎先生(左)と愛知県立大学の野村達朗先生(右)

これを受け、南山大学では「アメリカ研究委員会」が設置され、アメリカ研究センターの設立に向けた検討が進められました。その後、「アメリカ研究所設立準備委員会」が発足し、1976年初頭には「南山大学アメリカ研究センター規程」が起草され、学術評議会により承認されました。
1976年5月には、同規程に基づいてアメリカ研究センター運営委員会が組織され、アメリカ研究資料の収集計画や、南山大学におけるアメリカ研究の教育・研究に関する将来計画の策定が始まりました。
そして1976年10月5日、学内・学園内の会議体の承認を経て「南山大学アメリカ研究センター利用規程」が施行され、アメリカ研究センターは正式に活動を開始しました。
設立当初、センターは第1合同研究室棟1階に置かれましたが、蔵書や施設の拡充に伴い手狭となったため、1978年2月、キャンパス東側に位置する宗教文化研究所棟の1階へ事務室およびセンター図書室を移転しました。その後、現在は南山大学J棟地下1階を拠点に、研究活動、学術交流、情報発信を続けています。

アメリカ研究センター初期の頃の国際学術交流

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